三点リーダはネガティブ?
年も明けてひと月。今更新年の挨拶をするのも憚られますね。
今年も亀よりものろまな更新ですが、宜しくお願いします。
さて、今回久しぶりにブログでも書こうかなと思ったのは、つい先日SNSでも話題になっていた「三点リーダ」の表現について。
実は私、大学の卒論のテーマで取り扱ったんですよ。三点リーダ。だからめちゃくちゃ馴染みがあって、個人的には愛着のある記号なのです。普段でも多用するので、今回なんだかネガティブな感じで広まっているような気がしてちょっと切ない気持ち。
確かにビジネスでのやり取りの中で文末が「…」で終わるのはカジュアルすぎるのではと思いますが、普段遣いならこんなに面白い記号はないのに…と思わずため息を吐いてしまいました。
こと小説のなかでの三点リーダの活躍っぷりったら。
三点リーダの使い方
急に何?って感じですけど。皆さんいつもどんなときに三点リーダを使われますか?
恐らく多くの方が文末で使うと思うんですよね。「疲れた…」とか「なぜ…?」とか「〜と思います…」という具合に。
何気なく使っていると思いますが、実はそれぞれに伴う効果は異なります。
「疲れた…」に含まれる「…」には疲労の度合いであったり、疲れている状況を形容するような働きがありますね。「なぜ…?」には思案する様子、「〜と思います…」には「そう思いますが、あなたはどうですか?」のような相手の意見を求めるような意味合いが含まれています。
こんな風に、日本語で使う三点リーダって思った以上に様々な効果をもたらしてくれるんです。小説や漫画などの文中だと本当に多岐にわたる使用例が発見できます。
- 感情の余韻・余白
ひとつ前の言葉に余韻をもたせる、またはその言葉について推察する余白を与える
例:姉に「なんでヤンバルクイナだけ落っことすの?」と聞くといつも「気付かなかった」と言うのです。恐ろしい……無意識にヤンバルクイナを虐げているのです。
(阿佐ヶ谷姉妹『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』より) - 沈黙している情景の表現
台詞の中で話者が沈黙していることを記号的に表現
例:「…………」 - 台詞の遮り
話者の言葉を遮って別の人物が話し出したことの表現
例:「先生のようにごろごろしてばかりいちゃ…」「ごろごろばかりしていやしないさ」
(夏目漱石『こころ』より) - 思案
言葉にする内容を思案・躊躇い・言い淀む様子
例:「奥さん。まことに失礼ですが、いくつにおなりで?」と男のひとは、破れた座蒲団に悪びれず大あぐらをかいて、肘をその膝の上に立て、こぶしで顎を支え、上半身を乗り出すようにして私に尋ねます。
「あの、私でございますか?」
「ええ。たしか旦那は三十、でしたね?」
「はあ、私は、あの、……四つ下です」
(太宰治『ヴィヨンの妻』より) - 時の流れ
三点リーダを利用することで時が移っていくことを表現
ゴンクールの声が上ずった。忠正は、口元に微笑を浮かべたままでゆっくりと答えた。
「……千フラン、申し受けます」
(原田マハ『たゆたえども沈まず』より)
どうですか?軽く書き出しただけでもこれだけの用法・効果があるのです。
ちなみに三点リーダを文頭に持ってくると、また少し違った雰囲気になります。漫画とかでもよく見かける表現ですよね。「…え?」とか「…嘘」とか。場面にもよりますが、こういう場合って記号の中には驚嘆とか疑念みたいな感情が込められている気がします。
聞いた内容を咀嚼している状態というのかな。 あとは単純に「間」のためとか。他にも動作を表していることもありますね。
例えばひとつ前の文章やコマで飲み物を飲んでいる描写があるとします。
「……美味しい!」
こう書かれていると、記号の中に飲み物を飲み下すまでの動作が含まれているように感じませんか?
他にも「…っ!」とか「…でも、」とか。
言葉に詰まっている様子や悔しがっているような様子が伺えます。他にも使う側によってめちゃくちゃ表現の幅を持たせられる記号なんですよね。読み手に想像する余白を生む記号なんです。
そしてこうした表現って日本語が特に多いんじゃないかなとも思います。日本語って回りくどい表現好きじゃないですか。簡明直截な表現よりもニュアンスで表現することを好むというか。私が論文で比較したのはフランス語の小説でしたけど、三点リーダを用いて叙情的に文章を書いていたのは圧倒的に日本語の小説が多かったです。
というかそもそもフランス語の小説の中から三点リーダを探すこと自体がめちゃくちゃ大変だった!全然ないんですよ。使わないの、三点リーダ。
日本語の小説なんて、上に書いた例文を手持ちの書籍や青空文庫で探し出すのに10分もかからなかったのに。
当時必死でかき集めたフランス語の小説の中での用途だと、「沈黙」と「時の流れ」としての描写が多かったですね。あくまで情景を描写する記号であって、そこに感情とか想像の余白とかは含まれていないんです。もはやうろ覚えだし、当時の仏語スキルでの解釈ですから、本当はもっと別な目的で利用していたのかもしれませんが。
でもそう考えると面白くありません?日本語特有で可能性秘めまくりの記号ですよ。
当時、どうして私がこの記号で卒論を書こうなんてトンチキなことを思いついたのかはさっぱり思い出せませんが、調べていくほどに「おもろー!」と思いながら論文を書いていたのは覚えています。(半分嘘です。CiNiiの少ない論文読み漁り、例文となる文献が見つからなすぎて図書館で涙目になりながら書いてました)
今回話題になったニュースとは論点がずれたかな?と思いますけど、使いどころを誤らなければめちゃくちゃ便利で表現力のある記号です。ずるい使い方しないで、表現力に豊かさ持たせていこうぜ!ということが言いたかったブログでした。
お粗末さまでした。